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寺分(てらぶん)は神奈川県鎌倉市深沢地域にある大字。 「寺分」とは「寺領であったところ」を意味する。地名の由来は、南北朝時代から戦国時代に、大慶寺の寺領であった(大慶寺は後に廃絶)。寺名を略して「寺分」と称した。 == 歴史 == 天文16年(1547年)11月21日の「北条氏康判物」で「須崎大慶寺分」と記されているのが初見である。永禄2年(1559年)の小田原衆所領役帳には「同(東郡)須崎大慶寺分 養竹院」とあるが、永禄9年(1566年)7月22日の「北条氏政判物」では「須崎大慶寺分」を円覚寺塔頭の帰源庵領として安堵し、後北条氏滅亡まで同庵領であった。 江戸時代の正保国絵図や元禄内国改定図には「寺分村」と記載されている。新編鎌倉志では「てらわけ」とされる。当時の地域は現在の寺分の他、梶原一-二丁目が含まれていた。 明治22年(1889年)4月の町村制施行により、当村と梶原、上町屋、手広、常盤、笛田、山崎の7カ村が合併して深沢村が誕生し、寺分はその大字となった。 昭和23年(1948年)1月,深沢村が鎌倉市と合併した際に鎌倉市の大字となる。昭和58年(1983年)2月7日の住居表示により、山崎の一部を含めて寺分一-三丁目となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「寺分 (鎌倉市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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